【眼光紙背】 プラザ合意が導く教訓

2025.10.02 04:30
眼光紙背
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過去数十年、幾度も取材してきた国際金融会議がある。G7(先進7カ国)とG20(20カ国・地域)の財務相・中央銀行総裁会議だ。だが、その記憶はほろ苦い。時節の世界経済と金融に関する重要課題を主要国で議論するが、日本側から上がる声はほぼ決まって円高への警戒。「為替しか関心がないのか」。各国のメディアからも白い目で見られたものだ。


数少ない例外は2012年の欧州債務危機下の会議か。安全網としての国際通貨基金(IMF)の資金拡充を日本が主導。感慨深かったのか、取材メモに「世界を救ったとの声上がる」とある。しかし、その後また日本の存在感は薄れてしまう。


1985年9月22日、日米英仏と旧西独のG5が協調、米貿易赤字削減のためドル高是正を決めた。いわゆる「プラザ合意」でドル安・円高が急速に進行。日本はバブル経済と崩壊を経て、長期のデフレと停滞に陥る。当時は輸出企業が強くけん引する産業構造だったがゆえに、円高への恐怖感が広がった。


円高是正(円安誘導)に固執せず、日本企業はもっと技術開発などの投資で生産性を上げるべきではなかったか。それを怠ったなかでの円安は、国力低下を反映しているとの指摘が多く聞かれる。


いまふたたび、歴史的なドル高局面が到来。「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ米政権は高関税を振りかざし、ドル高是正に挑んでいる。そこに「第2のプラザ合意」を重ね見る向きもある。


しかし、40年前のプラザ合意が残した教訓は、基軸通貨と為替相場を人為的に導くことの難しさだろう。この間、欧州ではユーロが誕生し、中国やインドなど新興国が台頭。米国のみならず「自国第一主義」の空気が広がり、協調で市場の道筋を定めることもなおさら困難になっている。


そんな世界経済の荒れゆく潮流に乗り出した日本にとっても、歴史の検証とその教訓から学ぶことは有意義なはずだ。


(編集委員 柿内公輔)



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