能登半島地震1年で追悼式、石破首相ら445人参列ー石川県
2025.01.01 21:35能登半島地震の発生から1年を迎えた2025年1月1日、石川県は輪島市内の日本航空学園能登空港キャンパスで「令和6年能登半島地震・奥能登豪雨 追悼式」を開催した。石破茂首相や馳浩知事、遺族など445人が参列。地元金融界からは北国フィナンシャルホールディングス(FHD)の杖村修司社長が出席した。地震や24年9月に奥能登地域を襲った豪雨の犠牲者を悼んだ。
主催者を代表して馳知事は、「ふるさとの日常を一変させた今回の複合災害は、私たちに自然の脅威を知らしめると同時に、復旧、復興への道のりがいかに長く険しいものであるかという事実を突きつけている」と強調した。
そうした状況のなか、「地域の皆さんが互いに支え合う姿と、県内各地や全国からの温かい支援の輪が被災地の大きな希望になっている」とし、国や全国の自治体からの支援、県内外の民間の力も借りて「創造的復興に取り組んでいく」と決意を表明した。
石破首相は、被災地の現状について「復旧、復興は一歩一歩前に進んでいるものの、被災者の恒久的な住まいの確保、インフラの本格復旧など取り組むべき課題は数多く残されている」と述べた。今後については、災害救助法や災害対策基本法の改正を目指すほか防災庁の設置など「災害対処体制の強化を進めていく」考えを明らかにした。
発災当時、陣頭指揮を執った岸田文雄前首相は、「私も一人の政治家として引き続き、能登地域の復旧、復興に努めていく」と話した。
遺族を代表して、穴水町在住の小林由紀子さんがあいさつした。小林さんは同町で、曾祖父の代から130年以上続く衣料品店を営んできた。しかし、地震で店舗や実家が倒壊し、先代店主の父親を失った。絶望感から店舗の再建は無理だと、「諦める理由を探す毎日だった」と語った。
それでも、地域の人々から「待っとるからね」という言葉に少しずつ前向きな気持ちになり、仮設商店街で営業を再開。「半歩ずつだが夫と共に店を守り抜き、地域の皆さんと歩んでいく。それが亡くなった父への感謝であり、地域への恩返し」と締めくくった。
地震の発災時刻16時10分には参列者全員で1分間の黙とうをささげた。その後、参列者による献花が行われた。
出席した北国FHDの杖村社長は「今年が本格的な復興の年になる。明るく、元気な1年にできれば」と語った。
24年12月27日までの地震による死者数(新潟・富山・石川三県)は災害関連死も含めて504人に上る。石川県では2人が行方不明のままだ。同年9月に発生した奥能登豪雨では16人が亡くなった。
被災地の事業者もまだ多くが再開の途上にある。地域が再興していくには、金融機関を始め、国や県などさまざまな関係者の長期にわたる継続的な支援が求められている。