Nikkin金融講座 金融入門(4)金利にまつわるエトセトラ(1)

2023.10.27 04:01
金融入門
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 マイナス金利は銀行への罰金

ポストコロナの最大の変化は何か。金融界に限れば、世界が金利の激動期に入ったことです。米国を筆頭に、過去に類を見ないピッチで金利が上がっています。金利は、経済の変化を敏感に映す鏡なのです。金利上昇のきっかけは世界同時インフレでした。コロナショックから立ち直り、需要が増えたことに伴う物不足。そしてロシアのウクライナ侵攻による原油や小麦の価格高騰。これらが世界のインフレに火をつけ、日本を除く主要中央銀行は2022年から利上げに転じました。

 世界のうねりは日本にも必ず波及します。歴史上、マイナス金利政策を導入したのは6カ国・地域だけ。デンマーク、EU、スイス、スウェーデン、ハンガリーは既にプラスの世界に戻りました。例外は日本だけです。

 マイナス金利は、お金を預ける側が罰金を取られる奇妙な世界です。日本銀行が金融機関の国債を大量に買って資金を供給しても、貸し出しに回らなければ世の中にお金は巡りません。つまり、日本のマイナス金利は、日銀の当座預金口座に資金を寝かせておく銀行に対するペナルティだったのです。日銀がいつマイナス金利解除に動くかは、目下、金融界最大の関心事です。

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 「公定歩合」から「コール市場」へ

誤解されがちですが、日銀の使命は景気回復ではありません。本来の目的は物価の安定です。そのため、景気がよくなり物価が上昇し始めると、金利を引き上げて景気にブレーキをかけ、物価上昇を抑えようとします。毎月開く「金融政策決定会合」で、金利を動かすか、据え置くかを検討しています。

 金利をコントロールする手法は時代によって変わります。以前は「公定歩合」が金利の調整弁でした。公定歩合は、日銀が民間金融機関にお金を貸し出す際の金利です。昔は、銀行の預金金利などが公定歩合に連動する規制金利でした。大蔵省(現在の財務省と金融庁)が金利を厳しく管理し、どこの金融機関も金利水準は横一線だったのです。しかし、1994年の「金利の自由化」により、銀行が金利を自由に決められるようになると、需要と供給の関係で金利が動くようになりました。

 それに伴い、日銀はコール市場を通じて金利を調整する手法に切り替えました。コール市場は、金融機関同士で短期資金を貸し借りする場です。最も利用される取引が、1日限りの貸し出しである無担保コール翌日物。この金利を日銀はコントロールしています。コール市場では、貸し手が少なければ金利が上昇し、逆なら金利が低下します。コール市場で貸し借りされる資金量を増減させれば、金利水準を誘導できるのです。日銀は金融機関との間で国債を売買し、コール市場の資金量を増減させることで金利を動かしています。


 バブルを膨らませた責任も?

金融政策に失敗した中央銀行は激しい批判を浴びます。かつて日銀も不動産バブルの責任を問われました。1985年のプラザ合意後に急激な円高が進むと、日銀は金利を5回にわたって引き下げ、公定歩合を2.5%にしました。当時としては歴史的な低さでした。その結果、景気は上向き、地価が上昇。さらに円高で海外ブランドが安く手に入るようになり、空前の消費ブームが到来しました。

 景気の過熱を心配した日銀は利上げを探りましたが、1987年に米国株価が暴落した影響もあり、1989年まで低金利を維持してバブルを膨らませました。一方、日本と似た境遇だったドイツは米国に遠慮することなく利上げに動き、バブル発生を未然に防ぎました。

 バブル崩壊の引き金は、大蔵省による「総量規制」でした。銀行に対し、不動産業向け融資の伸び率を、融資全体の伸び率以下に抑えるよう指示したのです。当時は不動産向け融資が急増していたので、事実上のストップ命令でした。日銀も追随します。1989年5月から1年3カ月の間に5回も利上げし、公定歩合を2.5%から6%に引き上げました。利上げの時期はバブルがはじけた時期ときれいに重なっています。たかが金利ですが、日銀の判断は日本経済を左右する影響力を持っているのです。

 日本金融通信社編集局 国定直雅

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