Nikkin金融講座 金融入門(21)金融危機は形を変えてやってくる(2)

2024.03.15 04:01
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 ◆危機から生まれたバーゼル委

バーゼル銀行監督委員会は、国際的な金融危機を防ぐため、50年前に設立されました。スイスのバーゼルに本拠を置く国際決済銀行が事務局を務めています。当初のメンバーは12カ国でしたが、現在は28カ国・地域に拡大しました。条約に基づく組織ではなく、あくまで自主的な集まりです。参加国の中央銀行と金融監督当局が規制や監督手法について話し合う場であり、日本からは日本銀行と金融庁が参加しています。なぜ自主的に集まる必要があるのか。それは、銀行業がグローバル化するなかで海外当局との連携が不可欠になっているからです。

 バーゼル委の活動内容や役割は、いくつかの金融危機が転機となり、何度も変化してきました。最初の危機は1974年。当時の西ドイツにあったヘルシュタット銀行の破綻(はたん)でした。外国為替取引で損失を出し、営業時間終了後に銀行免許を取り消されました。しかし、その時刻、米ニューヨークの銀行はまだ営業時間中。ヘルシュタット銀の米ドル資産を取り扱っていた米銀との間で外為取引の債務不履行が発生しました。それを契機に、国際的に活動する銀行の監督には、国際的な協調が必要という認識が生まれ、バーゼル委が誕生したのです。

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 ◆国際資本規制の源流は米国法

82年には、メキシコで発生した金融危機をきっかけに、ラテン・アメリカの多くの国で累積債務危機が表面化。その余波で、米銀の自己資本比率が低下しました。米国は翌83年に国際融資監督法を成立させ、最低自己資本比率の設定権限を銀行監督当局に与えました。同法は、第11回(23年12月15日号)で紹介した自己資本比率規制の源流です。米国は自国の銀行にだけ厳しい規制を課すと、他国の銀行との競争上、不利になると判断。他の主要先進国に対して自己資本比率規制の国際統一を求めた結果、88年にバーゼル委が国際的な資本規制である「バーゼルⅠ(ワン)」を策定しました。

 さらに90年代には、メキシコ通貨危機(94~95年)やアジア通貨危機(97年)を受け、新興国に対しても銀行規制の強化を求める姿勢に転じます。それ以前は、バーゼル委のメンバーである先進国だけで情報を共有していました。

 2000年代には、サブプライムローン問題(07年)や米リーマン・ブラザーズ破綻(08年)を発端するグローバル金融危機が世界を襲いました。これを機に、バーゼル委のメンバーはG20諸国を含む27カ国・地域に増えました。国際的な資本規制も抜本的に見直し、「バーゼルⅢ(スリー)」にアップデートされました。


 ◆脱「大きすぎてつぶせない」

このように、バーゼル委はほぼ10年に一度のサイクルで大きな金融危機に直面し、そのたびに規制内容や適用範囲を見直してきました。「そもそも完璧な規制は存在しない」(金融庁幹部)という側面もありますが、「危機はいつも形を変えてやってくる」(同)ことも大きな理由の一つでしょう。ただ厄介なのは、新しい規制が導入されると、その規制が及ばない資産や業態にマネーが集まり、別のリスクや次の危機の芽を生んでしまうことです。

 グローバル金融危機の後は、「大きすぎてつぶせない(Too Big Too Fail)」問題への対処も課題となりました。大規模な金融機関は、破綻した場合に経済に与える影響が大きすぎるので、公的資金で救済するしかない。皆がそう考えるようになると、巨大銀行が過大なリスクを取るようになりかねません。その賭けが成功すれば経営者や株主は莫大な利益を得ることができ、失敗しても政府が税金でカバーくれるという算段が成り立ってしまうからです。

 そのため、バーゼル委は公的資金を使うことなく全ての金融機関を破綻処理できるように、事後対応の仕組みを整えようとしています。銀行の破綻確率を下げることだけでなく、経営に失敗した銀行を混乱なく破綻させる仕組みを整えることも、金融システムを維持するためには必要なことなのです。

 日本金融通信社編集局 国定直雅

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