【M&A 地銀の選択】(4)譲渡の決断、寄り添う5年
2024.12.05 04:45第3回はこちら
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会社を譲るも買うも、経営者にとっては大きな決断。その時、銀行員は相談相手になれるのか。
数年前、甲信越地方で中小ながらも堅実に業歴を重ねてきたガス会社が事業譲渡を余儀なくされた。顧客は減り、後継者不在のなかで経営者は親会社への譲渡を決断した。譲渡を機に社員数人が離職。家族の顔も浮かび、今になって思う。「他の選択肢はなかったのだろうか」。
メインバンクは地元の地方銀行。事業が順調だった頃は、毎日のように担当行員と顔を合わせていた。業績が傾き、担当行員の短期間での交代も重なり、最も大切な決断をする時に、そばにいてくれず、「銀行に相談する気は起きなかった」と漏らす。
仙台市に本社を置く鉄骨工事専門の鳶小澤組。髙橋誠社長は2024年1月、メインバンクである七十七銀行の支援を受けて創業家から経営を引き継いだ。先代社長の小澤敏弘氏は65歳での引退を固め、当時専務だった髙橋氏への交代を担当行員に相談。株式買い取りでは髙橋氏が膨大な借金を背負うため、会社の所有と経営の分離を提案する。
担当行員と小澤氏は協議を重ねたが、建設業は特定企業の傘下に入ると、従前の取引関係に支障が出るため、建設大手への株式売却は断念。転売を視野に入れるファンド系への譲渡提案にも小澤氏は同意しなかった。
そこで、同行は事業承継機構(東京都)との提携を打診。機構が持ち株会社方式で事業承継し、株式は永久保有する。資金や転売の問題をクリアできる。ただ、経営を引き継ぐ髙橋氏には「組織を近代化して年商を2倍に」という夢があった。機構がオーナーになると思い描いた夢が叶わないのでは――。髙橋氏は何カ月も悩んだという。
日頃から同氏の夢を聞いていた担当行員は、社長として経営は継続できること、機構がサポートに入ることで夢を実現できる可能性が高まることを粘り強く説明。髙橋氏は「声を荒らげることもあったが、最後まで寄り添ってもらい覚悟を決めた」。
最初の相談から事業承継まで実に5年が経過していた。同行によると、同社は「仙台駅から見えるほとんどの建物の鉄骨を組み立てた会社」。この地域に「50年で培った技術を残す必要があった」と、地銀としての強い使命感が長期の伴走につながった。(おわり)
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